第15回ショパン国際ピアノコンクール

パデレフスキ版ショパン バラード(韓国語版) 管理人コラム

2005年の9月から10月にかけて「第15回ショパン国際ピアノコンクール」が開催された。今回はインターネットを通じての実況中継もあって、これまで以上に様々な話題を提供してくれたと思う。結果だけ見れば、ラファウ・ブレハッチが地元ポーランドから30年ぶりに優勝、韓国人の初入賞、関本君、山本君の日本人W入賞と明るい話題満載で、正直ショパンファンとしては無事に終了してくれて良かったと思っている。
今回、自分は実況中継は聴かず、審査結果の発表をその都度確認しただけだったが、ブログや掲示板などのコミュニティーを通じて視聴した人たちの意見もリアルタイムで見ることができて十分に楽しめた。そうした意見やコンクールに対して感じたことを忘れないうちにまとめておこうと思う。

韓国のショパン事情

今回も前回同様、アジア勢の活躍が目立っていたが、本選出場者の顔ぶれを見たときは本当に驚いた。本選出場者12名中、日本から4名、韓国から3名、中国から1名と、ほとんどがアジア勢で占められていたからだ。
本選出場者の経歴を見ると、特に目を引くのが韓国人のソン・ヨルムで、地元の韓国芸術綜合学校を出ただけで留学の経験が無い。師事したのも地元の先生らしい。そんなにレベルの高い学校なのだろうか。

ソン・ヨルム オフィシャルサイト

実は9月にソウルに行ってきた。そこで韓国におけるショパン事情を少し調べてきたのでざっくりと報告したい。

まず、書籍についてはインターネットを通じてかなり詳しく調べることができる。ショパンの本に関しては翻訳物が多いのは日本も同じだが、逆に韓国人によるショパンの本がほとんどないというのは、日本とは違う。出版されているタイトル数も圧倒的に日本の方が多い。書籍名や著者から想像するに韓国で出版されているものは入門的な内容の書籍がほとんどで、一般人の興味もそれほど高くないのではないだろうか。実際、市内の書店でショパンの本を目にすることはなかった。

書籍とは違い、楽譜の流通事情は日本とよく似ていた。市内の専門店に行ったところpeters、henle、schirmer、kalmusといったほとんど解説のつかない楽譜は輸入版のまま出回っており、パデレフスキ版、ウィーン原典版、春秋社版といった日本語の解説がついて日本で出版されている楽譜は、驚いたことに韓国語の解説付きで出回っていた(ちなみにナショナル・エディションは置いてなかった)。これはおそらく韓国には日本語を理解する人が多いからではないだろうか。ライセンスの問題はどうなっているか、ということについては知る由もないが、その辺がきちんとされているのであれば、ビジネス的なことばかりでなく、文化交流の架け橋として、日本は大きな役割を担えるのではないかと思った。もちろん、これは韓国限定ではなくアジア全般に対していえることだ。

ナショナル・エディションに対する誤解

今回、インターネットを通じてコンクールに対する様々な意見を読むことができた。その中でも気になったのが、ナショナル・エディションについて「楽譜通りに弾かれていない」「使用している人は少ないのではないか」という意見だった。今回のコンクールではナショナル・エディションが使用推奨楽譜となっていたためこういった意見がでたのではないかと思う。これは、演奏を聴いた率直な感想だとは思うが、このことでこのエディションに対して懐疑的になったり否定的な意見がでるとしたら問題だ。実際に演奏を聴いていないので確かなことは言えないが、何となく想像はできる。

そもそもナショナル・エディションという楽譜はどういったものなのだろう。仮にみんながナショナル・エディションの使用を厳密に守ったとして、原典という『型』にあてはめて、判で押したような演奏をしただろうか。

これはナショナル・エディションに付いている「原資料についての解説(要約)」と「演奏上の注釈」を混同していると起きやすい誤解だが、少なくともナショナル・エディションは「こう弾きなさい」と押し付けてくる性質のものではない。それなのに「原典版」という言葉がよほど厳めしいのか、マニュアル通りに弾かなければ減点と思い込んでいる人がいるようだ。それをいうなら、重要な解説の抜けたhenleや、誤解を与えてしまうような解説がされている旧全集の方が、よほど押し付けがましい性質ではないか。ナショナル・エディションの内容に対して疑問を持つことは大事なことだが、批判や否定をするだけで建設的な意見が出ないのは好ましくない。楽譜は演奏家の魂を映す鏡だ。どう弾くかが問題なのではなく、どういう結果が導きだされるのかが重要なのだと思う。

もちろんナショナル・エディションが広く普及していないのも事実だろう。今後日本でも、学研、kawaiを通して広まることとは思うが、定着するにはそれなりに時間もかかると思う。

エキエル版についてはこちらの記事もどうぞ

専門家から一般聴衆へ

もう一つ目についたのは、審査方法に関する疑問の声が多かったことだ。これは毎回のことかもしれないが、確かに考えさせられるところはある。

コンクールの少し前に、ポーランドからそう遠くはない某国の国立音学院に通う学生の演奏を聴いた。癖の無い、素直な演奏が印象的だった。音学院の教授からも才能を認められている彼はショパン・コンクールにも参加してみたいが予備審査を受けに行く渡航費が捻出できないとのことだった。もちろん、これはショパン・コンクールに限った問題ではないが、才能以前にどうすることもできないこともある、というのも事実だ。こういった資金面での問題を解決する方法として、各国の協会、団体がスポンサーと協力して援助する方法もあるかもしれないが、そうなると今度は国の代表としてのプレッシャーがかかったりなんだりで、違う面での問題も出てくるだろう。テープ審査のルールをもっと厳密にしてみるのが解決方法としては現実的ではないだろうか。
審査方法に対する様々な意見や不満が出るのも、ショパン・コンクールがポーランドのためだけのコンクールではないという何よりの証だろう。
外野である一般人がいたずらに不正や採点内容を勘ぐってみるのは意味のないことだと思う。知ったところでこじつけの材料にしかならないからだ。ただ、今回のように実況中継を見ながら、演奏に対する意見を交換し合うというのはとても面白いことだと思う。こればかりは素人もプロも無いからだ。実際、会期中に実況中継を見た視聴者から審査結果に対して抗議の電話があったらしい。勝ち負けにこだわるわけではないが、結局、聴衆の心をつかんだプレイヤーこそが本物なのではないだろうか。

2005年のコンクールも終わり、これから特集を組んだ本や音源が出回るだろう。正直、最初は過熱気味の実況中継に、ブーニンブームの二の舞にならないかと心配していたが、実際の状況は違っていた。インターネットを通じて様々な意見を見ることができたのは、とても参考になった。今回出た意見を詳しく調査することは決して意味の無いことではないだろう。次回が本当に楽しみだ。

2005.11.3

第15回ショパン国際ピアノコンクール 朝日新聞記事
11月1日(火)の朝日新聞夕刊に掲載された中村紘子さんの記事
管理人コラム
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